荒井進三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 07:43 UTC 版)
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基本情報 | ||||
名前 | 荒井 進三 | |||
生年月日 | 1935年10月28日(89歳) | |||
国籍 |
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荒井 進三(あらい しんぞう、1935年10月28日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1970年の第1回ブリヂストントーナメントでは5位[1]に入り、1972年にはダンロップフェニックストーナメントの前身に当たる第1回「フェニックストーナメント」[2]で橘田光弘・今井昌雪・鈴村照男と並んでの8位タイ[3]に入った。
1972年の日本オープンでは初日を杉原輝雄・尾崎将司と共に4アンダー68の首位タイ[4]でスタートし、1976年の関東プロでは2日目の18番で4番アイアンを使ってホールインワンを記録[5]。
シニア転向後の1991年にはヤナセカップで内田繁の2位[6]、1992年のヤナセカップでは石井裕士と並んでの9位タイ[7]、1994年には第一生命カップシニアで新井規矩雄・豊田明夫と並んでの9位タイ[8]、
主な著書
- 『ゴルフ―マンツーマン・コーチ (スポーツ・シリーズ)』西東社、1980年9月、ISBN 978-4-79160403-6
脚注
- ^ “「BSCCの歴史」ブリヂストンカンツリー倶楽部公式ウェブサイト”. 2024年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月16日閲覧。
- ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、258頁。
- ^ 朝日新聞縮刷版p922 昭和47年11月27日朝刊18面「能田、2打差つけ優勝 2位島田 尾崎追上げ3位 フェニックスゴルフ」
- ^ “第37回日本オープンゴルフ選手権(1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年6月22日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p193 昭和51年8月7日朝刊15面「村上隆首位を守る 関東プロゴルフ第二日」
- ^ “各日最終成績 競技情報|第6回ヤナセカップゴルフトーナメント|競技|公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. pga.or.jp. 2025年5月16日閲覧。
- ^ “各日最終成績 第7回 ヤナセカップゴルフトーナメント”. pga.or.jp. 2025年5月16日閲覧。
- ^ “各日最終成績 第13回第一生命カップシニアトーナメント”. pga.or.jp. 2025年5月16日閲覧。
外部リンク
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