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苑田邦夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 15:24 UTC 版)

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苑田 邦夫
基本情報
国籍 日本
出身地 福岡県
生年月日 1947年
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

苑田 邦夫(そのだ くにお、1947年 - )は、福岡県大牟田市出身のアマチュア野球選手(外野手)。実兄に苑田聡彦がいる。

経歴

三池工業高校では、2年生エース上田卓三を擁し、三番打者、中堅手として1965年夏の甲子園に出場。準決勝に進み秋田高に辛勝。決勝では上田が銚子商木樽正明との投手戦を2-0で制し優勝を飾る[1]。しかし同年の岐阜国体は、準決勝で銚子商の木樽に完封を喫した。

卒業後は法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中に3度の優勝を経験。1年上の田淵幸一山本浩司らとともに1968年春季リーグで優勝、ベストナイン(外野手)に選出される。同季の東大1回戦で鶴岡一人と並ぶ1試合6安打のリーグ記録を達成。最上級生となった1969年秋季リーグでも、同期のエース山中正竹を擁し優勝に貢献する[2]。大学同期には山中の他、江本孟紀黒田正宏山田克己堀井和人らが揃っていた。

大学卒業後は江本とともに熊谷組に入社。1970年から5年連続で都市対抗に出場、中心打者として活躍した[3]1973年第10回アジア野球選手権大会日本代表に選出されている。

脚注

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 東京六大学野球連盟(記録)」(一財)東京六大学野球連盟
  3. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

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