花園城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/23 23:37 UTC 版)
「花園」という地名は古い時代から史料にみえる。特に平安時代末期の源平騒乱の時期には、源頼朝と敵対した佐竹秀義が、金砂城の戦いで敗れたあと花園山(花園城)に篭ったと伝えられ、『吾妻鏡』にも登場する。 佐竹秀義は花園山の洞窟を拠点にして頼朝に抗ったといい、サルから食べ物を与えられたことから「猿ヶ城」との呼び名がついたという。ただし実際には花園山一帯でニホンザルは確認されていない。佐竹秀義はのちに山を下りて頼朝に降り、赦されて臣下となった。
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