花のことは話さなかったと言わないために
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「Pra Não Dizer Que Não Falei das Fl (花のことは話さなかったと言わないために)」 | |
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ジェラルド・ヴァンドレ の シングル | |
リリース | |
録音 | ブラジル |
ジャンル | 抵抗歌 |
作詞・作曲 | ジェラルド・ヴァンドレ |
花のことは話さなかったと言わないために(はなのことははなさなかったといわないために、ブラジル・ポルトガル語: Pra não dizer que não falei das flores)は ジェラルド・ヴァンドレによって作られたブラジルの抵抗歌である。ブラジルが軍事政権下にあった1968年にTVグローボ主催の国際歌謡祭で発表されたが、すぐに発禁となり、ジェラルド・ヴァンドレは亡命を余儀なくされた[1]。
歌詞の意味
歌詞の冒頭部分( Caminhando e cantando e seguindo a canção Somos todos iguais, braços dados ou não Nas escolas, nas ruas, campos, construções Caminhando e cantando e seguindo a canção )に書いてある、"歌いながら前に進む"は軍事政権に対する平和的なデモ を表していて、他に"全ての人々はどの状況においても同じである"という意味にもなる。サビ( Vem, vamos embora, que esperar não é saber Quem sabe faz a hora, não espera acontecer)は"軍事政権に今すぐ立ち向かおう"という解釈になる。次の歌詞 Pelos campos há fome em grandes plantações Pelas ruas marchando indecisos cordões Ainda fazem da flor seu mais forte refrão E acreditam nas flores vencendo o canhãoには" 苦しみの中、人々は花で大砲に勝てると信じている"と書かれているが、これはフランスの写真家、マルク・リブーが1976年にアメリカ国防総省の前で起きたベトナム反戦運動で、兵士に向かって、花を差しざす女性の写真からインスピレーションを受けた。この表現では"花=平和なデモでは軍部に抵抗出来ない"という表現を込められており、反軍事政権デモに拍車をかけるとみなされた[要出典]。
第3回国際歌謡フェスティバル
この歌は、1968年9月に開催された第3回国際歌謡祭にて発表され、2位にランクインした[2]。ジェラルドの曲は直接的な表現で、聴衆を魅了した。当時のフェスティバルではこの曲が断トツで人気であったが、審査員の投票結果では、 ジョビンとシコの曲が1位だった[2]。結果が発表された時には、八百長だと大ブーイングが発生した(動員数約2万5000人)[3]。ジェラルドはマイクを取り、"ジョビンとシコは尊敬に値する"と発言したが、ブーイングは止まなかった。月日が経ち、これを放送していたTVグローボは軍部から"ジェラルドの曲は1位に相応しくない"と圧力をかけられたことを発表した。
同じ頃、独立記念日のボイコットをマルシオ・モレイラ・アルヴェスが呼びかけた、国会議員への警告や、エスカレートしていくデモを押さえつけるために、フェスティバルの2ヶ月後(1968年12月13日)に軍政令第5号が発令された[3]。国会、州議会、市議会は停止、政治家や反軍事政権派の著名人が亡命するなど、手に負えない状況だった。ジェラルドもその1人で、フェスティバル後は身を隠し、チリに亡命した。その後、複数の国を渡り、1973年、ブラジルに帰国した。
この曲は1979年まで販売・放送禁止だった[1]が、解禁後は、シモーネにより、カバーされた。1985年に終わった軍事政権後も、ブラジルの歴史上、重要な楽曲の一つとして、学校や歴史の授業で紹介されている。2006年には、現代風にアレンジされたバージョンが、政府による大学進学支援プログラムのメインソングになった。
ジェラルドのその後
ブラジルに帰国後は、公の舞台には立たず、弁護士として働いていた。現在は定年退職、まれにゲストとして出演するが、 "ブラジルの最も有名なプロテストソングを作った人物"というイメージが着いてしまったことで活動意欲を失ってしまった。インタビューでは、「プロテストソングを作ったわけではない。ブラジル音楽を作っただけ。」と語った[要出典]。
脚注
- ^ a b Luiz, Thiago Marques (2009). “As 100 Maiores Músicas Brasileiras - "Pra Não Dizer que Não Falei das Flores"” (Portuguese). Rolling Stone Brasil (Spring). オリジナルの1 April 2017時点におけるアーカイブ。 2014年1月6日閲覧。.
- ^ a b Doutor, Fabio Guilherme Poletto (2015). “Sabiá no III Festival Internacional da Canção: vaia e ocaso da estética bossa novista de Tom Jobim.”. Antíteses 8 (15): 43–66. ISSN 1984-3356 .
- ^ a b Ventura, Zuenir (1988). “Que Juventude É Essa?” (Portuguese). 1968 - o ano que não terminou (3 ed.). São Paulo: Editora Planeta. pp. 182. ISBN 978-85-7665-361-5
外部リンク
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