肝付家の家督相続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 06:39 UTC 版)
肝付 兼重(きもつき かねしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。肝付氏8代当主。 6代当主・肝付兼藤の次男として誕生。当初は肝付氏庶流・荻原氏(肝付氏初代肝付兼俊の弟・荻原兼任の子孫か)の家督を継いで日向三俣の領主であったが、兄で7代当主・兼尚が訴訟事件で鎌倉に詰めており、その嫡子兼隆は幼少であったため、兄兼尚の番代として領地経営を行い、やがて本家の家督も相続した。
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