耶律涅魯古とは? わかりやすく解説

耶律涅魯古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 04:08 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

耶律涅魯古(やりつ でつろこ、生年不詳 - 1063年)は、(契丹)の皇族

経歴

耶律重元の子として生まれた。興宗は涅魯古を一目見て、「この子の目には反相がある」と言ったとされる。重熙11年(1042年)12月、安定郡王に封じられた。重熙17年(1048年)11月、楚王に進み、惕隠となった。清寧元年(1055年)12月、呉王に徙封された。清寧2年(1056年)11月、楚国王に進んだ。清寧3年(1057年)2月、武定軍節度使として出向した。清寧7年(1061年)6月、知南院枢密使事となった。

清寧9年(1063年)、父の耶律重元が病にかかったといつわり、道宗が見舞いに訪れたところを狙って、弑逆をおこなおうと計画した。7月、道宗は耶律良の提案を用い、人を派遣して涅魯古を召した。涅魯古は計画が漏れたとさとって、兵を率いて行宮を襲撃した。南院枢密使の耶律仁先らが宿衛の兵を率いて涅魯古を迎え討った。涅魯古は馬を躍らせて突進したが、渤海近侍詳穏の耶律阿思や護衛の蘇に射殺された。

伝記資料

  • 遼史』巻112 列伝第42 逆臣上




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「耶律涅魯古」の関連用語

耶律涅魯古のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



耶律涅魯古のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの耶律涅魯古 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS