美甘政和とは? わかりやすく解説

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美甘政和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 06:29 UTC 版)

美甘 政和(みかも まさとも、1835年天保6年4月24日〉 - 1918年大正7年〉12月19日)は、岡山県津山市の美作一宮の中山神社神官。楽天翁と号す。

略歴

岡山県湯原村里正酒造業の美甘政徳の子・与一郎として天保6年(1835年)に生まれる[1][2]播磨河野鉄兜の塾に遊学したが、父の死去により帰郷し、家業を継ぐ[2]。家塾を開き、地元の若者に国学を教える[3]。明治2年(1869年)、津山藩権少属となり、明治4年、中山神社禰宜に任命される[2]。明治7年に同神社の権宮司となり、明治14年には美作国神道事務分局長、翌15年には太政官より権少教正を命じられた[2]

明治18年(1885年)の政教分離により、神道大社教管長・千家尊福に属し、本職・家業を捨てて布教活動に従事、自身の説をまとめた『天地組織の研究』5巻を上梓、皇典講究所より四等学生を授与される[2]。明治30年、中山神社宮司に任じられ、美作の神職の多くが政和に就いた[1]。翌31年に正七位、明治37年に従六位、同39年に勲六等瑞宝章を授けられる[2]

家族

脚注

  1. ^ a b 『岡山の短歌』日本文教出版、1971、p17
  2. ^ a b c d e f 『真庭郡誌』真庭郡(岡山県)、1923、p867
  3. ^ 美甘政和の家塾に入る『中島皷岳』椎口松玲 著 (柴田寿雄, 1925)
  4. ^ a b 二重手術の起源は米国シカゴにあった白壁征夫、サフォクリニック、2019-06-03
  5. ^ 眼瞼成形小技 中外医事新報. (396) (日本医史学会, 1896-09)
  6. ^ 安東友哉『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  7. ^ 『石橋湛山全集』第15巻 東洋経済新報社、1972年 p186

参考文献

  • 『天地組織之原理』全5巻 明治23年 初版 11月1日 出版 和綴じ本 神典研究所篇
  • 『天地組織之原理』合冊本 昭和4年 再版 門下同志篇 門弟工藤氏 白峯宮寄贈本
  • 『幽顕相通神道宇宙観略説』大正5年版
  • 『国幣中社・中山神社考』
  • 『再版趣意書』昭和3年

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