織田家の援軍数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:29 UTC 版)
織田家の援軍の数も諸説が有り、 佐久間軍記 - 七頭(約1.5万人:1頭は2,100人とされる) 明智軍記 - 5,000人 総見記(織田軍記) - 3,000人 甲陽軍鑑 - 「信長加勢を九頭まで仕る」(約1.9万人) 前橋酒井家旧蔵聞書 - 信玄軍2.8万、徳川6千、織田の援軍2万。(国立公文書館蔵 紅葉山文庫) となっている。磯田道史は、文献調査の結果として織田の援軍を2万とし、織田の援軍は岡崎城(岡崎市)から吉田城(豊橋市)を経て白須賀(湖西市)へ分散配置されていたとする説を述べている。
※この「織田家の援軍数」の解説は、「三方ヶ原の戦い」の解説の一部です。
「織田家の援軍数」を含む「三方ヶ原の戦い」の記事については、「三方ヶ原の戦い」の概要を参照ください。
- 織田家の援軍数のページへのリンク