結城御殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 15:54 UTC 版)
「勝願寺 (鴻巣市本町)」の記事における「結城御殿」の解説
江戸期の勝願寺の寺勢を象徴するものとして、本堂を中心とした伽藍がある。これは家康の次男・結城秀康が慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いの論功行賞により下総国結城から越前国北の庄へ移封された際、家康の命により結城城の御殿、隅櫓、御台所、太鼓櫓、築地三筋塀、下馬札を移築したもので、さらに結城城下の華厳寺にあった鐘も移築された。これらの建物の移築は伊奈忠次が作事奉行として携わったと伝えられている。 御殿は百十四畳敷きの大方丈「金の間」、九十六畳敷きの小方丈「銀の間」に分けられ、大方丈は将軍来訪の際に使用されたことから「御成の間」とも呼ばれた。また、「金の間」には家康の像が、「銀の間」には黒本尊と呼ばれる秀康の念持仏が置かれていた。 平成10年(1998年)、国立歴史民俗博物館教授の岡田茂弘や市の文化財保護委員らにより境内の発掘調査が行われ、本堂と大方丈を結ぶ柱穴、大方丈の礎石などが見つかり、御殿の存在が改めて確認された。
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