紀訶多麻呂とは? わかりやすく解説

紀訶多麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/31 05:56 UTC 版)

 
紀 訶多麻呂
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 天武天皇8年2月3日679年3月20日
別名 堅麻呂
官位 小錦下大錦上
主君 天武天皇
氏族
テンプレートを表示

紀 訶多麻呂(き の かたまろ)は、飛鳥時代の人物。名は堅麻呂とも書く。。系譜は明らかでない。冠位小錦下大錦上

経歴

天武天皇2年(673年)に美濃王と共に造高市大寺司(高市大寺は大安寺の前身)に任命される。このときの訶多麻呂の冠位は小錦下であった。

天武天皇8年(679年)2月3日卒去。壬申の年の功によって大錦上の冠位が贈られた。壬申の乱について記す『日本書紀』巻28、いわゆる「壬申紀」に訶多麻呂の名は見えないが、この死亡記事によって大海人皇子側で参加したことが知られる。

脚注

参考文献

  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「紀訶多麻呂」の関連用語

紀訶多麻呂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



紀訶多麻呂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの紀訶多麻呂 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS