糟屋重行とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 糟屋重行の意味・解説 

糟屋重行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/28 16:05 UTC 版)

糟屋 重行(かすや しげゆき、文永7年(1270年) - 元弘3年5月9日1333年6月21日))は鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将伯耆守護代、通称は弥次郎、入道号は元覚(元寛)[1]

生涯

元弘3年(1333年)の船上山合戦では中山城に篭り、名和軍と戦った。

元弘3年3月3日幕府方の佐々木清高の居る小波城を攻略した名和行氏(名和長年の弟)ら名和軍は続いて中山城を攻撃した。当時、城内に重行がいたのかは不明だが戦いに敗れ、城を焼かれた重行ら一族は京都へ敗走した。

敗走した重行は同年5月9日、近江国番場にて佐々木清高らと自害、「蓮華寺過去帳」には13人の糟屋一族、佐々木清高の一族5人と一緒にその名が記されている。享年64。

脚注

  1. ^ 「蓮華寺過去帳」には「糟屋弥次郎入道明翁」とあり、入道号は明翁と改めるべきという説も存在する。

参考文献

  • 赤碕町誌編纂委員会『赤碕町誌』
  • 鳥取県『鳥取県史 第2巻 中世』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「糟屋重行」の関連用語

糟屋重行のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



糟屋重行のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの糟屋重行 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS