篁修寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 18:13 UTC 版)
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| 所在地 | 神奈川県横浜市磯子区森5丁目9-6 | 
| 位置 | 北緯35度23分26秒 東経139度36分26.2秒 / 北緯35.39056度 東経139.607278度座標: 北緯35度23分26秒 東経139度36分26.2秒 / 北緯35.39056度 東経139.607278度 | 
| 山号 | 荒神山[注釈 1] → 鳳林山 | 
| 宗旨 | 禅宗(臨済宗) | 
| 宗派 | 建長寺派 | 
| 本尊 | 釈迦如来像[1] | 
| 創建年 | 1381年[2] | 
| 開山 | 光室卯公[1] | 
| 中興 | 南岫碩源 | 
| 正式名 |  鳳林山篁修禪寺 鳳林山篁修寺  | 
   
| 札所等 | 金沢観音霊場 | 
| 法人番号 |  7020005003460  | 
   
篁修寺(こうしゅうじ[2])は、神奈川県横浜市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号は鳳林山(ほうりんさん)、本尊は釈迦如来。
歴史
1381年(永徳元年)、杉田の東漸寺の11代光室卯公により、当地の竹林に開創。光室は1383年9月3日に入寂し、無住のまま荒廃していった。1512年(永正9年)、この付近で北条早雲の軍と三浦道寸の軍との戦があり、当山は焼失したとの言い伝えがある。記録が残されているのは1652年(承応元年)以降で、時期は不詳であるが南岫碩源により再興されたとある。碩源は1673年(延宝元年)に入寂。その後、森中原村の名主の寄進により1694年(元禄7年)に新たな釈迦如来像が造立された。1744年(延享元年)には梵鐘と鐘楼が造られた。この鐘楼は磯子区内で最古のものであるが、梵鐘は1944年に戦時供出されて現存しない。新たな鐘がかけられたのは1969年のことである。1861年には、山号を荒神山から鳳林山に改めた[3]。
境内
本尊の釈迦座像と薬師三尊十二神将、如意輪観世音は本堂に祀られている。かつては境内南側に薬師堂があったが、明治初期に廃堂になった[4]。
交通アクセス
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 森公田村.
 - ^ a b “磯子社寺探訪 篁修寺”. 関 勝則 (2011年3月28日). 2018年2月26日閲覧。
 - ^ (磯子の史話 1978, pp. 431–435)
 - ^ (磯子の史話 1978, pp. 434–435)
 
参考文献
- 篁修寺のページへのリンク