第9交響曲の作曲
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「交響曲第9番 (マーラー)」の記事における「第9交響曲の作曲」の解説
1909年夏、トブラッハ(現イタリア領)近郊のアルト・シュルーダーバッハで交響曲第9番を作曲、2か月間でほぼ書き上げた。この地にアルマは同行しなかったという。ブルーノ・ワルター宛の手紙に、この曲についてマーラーは「小さな一家にとって非常に好ましい財産になるだろう。」と述べ、「それは狂ったように大急ぎで、あわただしく、ほとんど書きなぐられたので、とても他人には読めないだろう。今年の冬には何とか暇がとれて、総譜の清書ができるとよいのだが」と書いている。10月以降はニューヨークに楽譜を持ち込んで仕上げにかかり、翌1910年4月1日、同地で浄書が完成した。 この間、9月末から10月初めにかけてオランダ旅行し、自作の交響曲第7番を指揮。10月8日から12日にかけてパリで、再びロダンのモデルとなっている。
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