第7軍事基地_(ロシア陸軍)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 第7軍事基地_(ロシア陸軍)の意味・解説 

第7軍事基地 (ロシア陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/14 17:51 UTC 版)

第7軍事基地
創設 1918年7月20日
所属政体 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
ソビエト連邦
ロシア
所属組織 ロシア陸軍
編制単位 旅団
兵科 自動車化狙撃兵
兵種/任務 軍事基地
人員 4,000人[1]
所在地 アブハジア
グダウタ
通称号/略称 09332
愛称 クラスノダール
グルジア・ソビエト社会主義共和国
クバーニ・コサック
上級単位 第49諸兵科連合軍
戦歴 第一次世界大戦
ロシア内戦
第二次世界大戦
第一次チェチェン紛争
第二次チェチェン紛争
シリア内戦
ロシアのウクライナ侵攻
指揮官 ワジム・クリメンコ大佐(代行)
テンプレートを表示

第7軍事基地(だい7ぐんじきち、ロシア語: 7-я военная база)は、ロシア陸軍軍事基地第49諸兵科連合軍隷下。

2018年に創設100周年を迎えたロシア連邦軍最古の部隊として知られる[2]

歴史

第一次世界大戦 / ロシア内戦

1918年7月20日、第一次世界大戦の影響に伴い、パルチザンを主体に赤軍第1クルスク・ソビエト歩兵師団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で創設された。第一次世界大戦でドイツ帝国軍からクルスク州を防衛し、9月に第9歩兵師団、10月に第9狙撃師団に改称された。ロシア内戦では白軍からクリミア半島、ウクライナ方面を解放した[2][3]

1921年3月、グルジア民主共和国を占領し、グルジア・ソビエト社会主義共和国成立に貢献した。10月に第1カフカース狙撃旅団、第2カフカース狙撃旅団に分割され、トビリシバトゥミに駐屯してグルジア人を支配した[3]

1922年7月、第1カフカース狙撃旅団、第2カフカース狙撃旅団を基盤に第1カフカース狙撃師団として再編された。

戦間期

第9狙撃師団旗

1928年2月、ソビエト政府より祖国への卓越した貢献を評価され、名誉革命赤旗、グルジア政府より南カフカースでのソビエト政権樹立における並外れた貢献を評価され、名誉称号「グルジア・ソビエト社会主義共和国」を授与された[3]

1931年、山岳部隊化に伴い、第1山岳狙撃師団に改編された。

1936年3月、ソビエト政府より、赤星勲章を授与された。

1936年、師団番号統一に伴い、第9山岳狙撃師団に改称された。

第二次世界大戦

第9師団の戦闘軌跡

1941年6月、第二次世界大戦でグルジアに配備され、トルコとの国境を防衛した。

1941年12月、空挺訓練を受けた第251山岳狙撃連隊、第256砲兵連隊第2大隊がケルチ上陸作戦に参加し、ケルチ半島を解放した。

1942年8月、第121山岳狙撃連隊、第256砲兵連隊第1大隊はドイツ軍第1山岳師団の進撃を阻止するため、クルホル峠に展開した。予め工兵が整備した山道を行軍したが、道幅1メートルの断崖絶壁もあり、部隊は陣地到着前に分断され不利な戦闘を強いられた。兵力で勝る敵を強襲して先制すると、激闘の末に第121連隊長が戦死したが、公称で敵の最大2個中隊を壊滅させた。9月には気温が急激に低下して大雪が降り始め、10月に峠は閉鎖され戦闘は終了した。

1943年2月、クラスノダール解放作戦でクラスノダールを解放し、名誉称号「クラスノダール」を授与された。

1943年9月、プラストゥン部隊化に伴い、第9プラストゥン狙撃師団に改編された。赤軍初のクバーニ・コサック部隊となった。以降もタマン半島解放作戦、ウクライナ解放作戦、チェコスロバキア攻勢作戦に参加して枢軸国に勝利し、2等スヴォーロフ勲章を授与された[2]

冷戦期

第9狙撃師団軍事栄光博物館

1949年6月、山岳部隊化に伴い、第9山岳狙撃師団に改編された。

1950年1月、アディゲ共和国に移駐した[3]

1954年6月、歩兵部隊化に伴い、第9狙撃師団に改編された[4]

1957年6月、機械化に伴い、第80自動車化狙撃師団に改編された[4]

1965年1月、師団番号返還に伴い、第9自動車化狙撃師団に改称された[4]

ロシア

第131独立自動車化狙撃旅団章

1992年5月、ソビエト連邦の崩壊ロシアの独立で創設されたロシア陸軍に編入した。

1992年8月、部隊縮小に伴い、第131独立自動車化狙撃旅団に改編された[4]

チェチェン紛争

ドミートリー・メドヴェージェフ大統領と記念撮影する様子
100周年記念式典の様子
100周年記念式典に出席した歴代指揮官

1994年12月、第一次チェチェン紛争チェチェン・イチケリア共和国に派遣され、イヴァン・サヴィン旅団長率いる第1大隊がグロズヌイ市内の鉄道駅を制圧した。さらに大統領官邸を制圧するため激しい市街戦を展開したが、迫撃砲を顔面に被弾したサヴィン旅団長が戦死し、戦死者157人、行方不明者59人、戦車22両、歩兵戦闘車45両を喪失する損害を受けて壊滅した。以降は1995年4月までグロズヌイ郊外のセヴェルヌイ空港警備と友軍の援護に従事した。

1996年2月、チェチェン・イチケリア共和国に再配置され、10月まで鎮圧作戦に参加して戦死者11人の損害を受けた[2][3]

1999年からロシア平和維持軍としてアブハジアに派遣された[2]

2009年2月、アブハジアに移駐し、第7軍事基地に改編された[2]

2020年12月、セルゲイ・ショイグ国防大臣より、ジューコフ勲章を授与された。

ロシアのウクライナ侵攻

2022年3月、ロシアのウクライナ侵攻で2個大隊戦術群がウクライナに派遣された[5]

編制

2017年

  • 旅団司令部(グダウタ
  • 第1自動車化狙撃大隊
  • 第2自動車化狙撃大隊
  • 第3自動車化狙撃大隊
  • 戦車大隊
  • 旅団砲兵群
    • 本部中隊
    • 第1自走砲大隊
    • 第2自走砲大隊
    • ロケット砲大隊
    • 対戦車砲大隊
  • 高射ミサイル大隊
  • 偵察大隊
  • 工兵大隊
  • 通信大隊
  • 整備大隊
  • 補給大隊
  • 狙撃中隊
  • 電子戦中隊
  • NBC防護中隊
  • 衛生中隊
  • 無人航空機中隊

2008年

  • 旅団司令部(マイコープ
  • 第526独立自動車化狙撃大隊
  • 第527独立自動車化狙撃大隊
  • 第528独立自動車化狙撃大隊
  • 第558独立自動車化狙撃大隊
  • 第9独立戦車大隊
  • 第95独立自走榴弾砲大隊
  • 第108独立自走榴弾砲大隊
  • 第109独立対戦車砲大隊
  • 第110独立高射ミサイル大隊
  • 第114独立高射ミサイル大隊
  • 偵察大隊
  • 工兵大隊
  • 通信大隊
  • 兵站大隊
  • NBC防護中隊
  • 衛生中隊

1988年

  • 師団司令部(マイコープ
  • 第36自動車化狙撃連隊
  • 第121自動車化狙撃連隊
  • 第428自動車化狙撃連隊
  • 第391戦車連隊
  • 第340砲兵連隊
  • 第885高射ミサイル連隊
  • 第1328独立対戦車砲大隊
  • 第242独立ミサイル大隊
  • 第107独立偵察大隊
  • 第538独立工兵大隊
  • 第521独立通信大隊
  • 第343独立整備大隊
  • 第1095独立補給大隊
  • 第29独立衛生大隊
  • 化学防護中隊

[4]

1942年

  • 師団司令部
  • 第36山岳狙撃連隊
  • 第121山岳狙撃連隊
  • 第193山岳狙撃連隊
  • 第251山岳狙撃連隊
  • 第256砲兵連隊
  • 第607榴弾砲連隊
  • 第55独立対戦車大隊
  • 第140独立工兵大隊
  • 第232独立通信大隊
  • 第123独立衛生大隊
  • 第26独立偵察中隊
  • 第161自動車輸送中隊
  • 第553独立化学防護中隊
  • 第104野戦パン屋
  • 第156師団動物病院
  • 第203野戦郵便局
  • 第216国立銀行野戦現金窓口

出身者

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  第7軍事基地_(ロシア陸軍)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第7軍事基地_(ロシア陸軍)」の関連用語

第7軍事基地_(ロシア陸軍)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第7軍事基地_(ロシア陸軍)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第7軍事基地 (ロシア陸軍) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS