第3代から第6代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 06:30 UTC 版)
山本は庄屋であったためか、慶安3年9月(1650)の「定」が残されている。 「定」には1.切利支丹家之者、1.お山林、1.山野漁、1.町人、百姓、1.庄屋などについて定められている。 慶安御触書との関連は不明であるが、 (当時の村上藩主は松平直矩(15万石)。直矩の父直基は姫路城主となったが不幸にも病没。直矩は当時7歳のため西国の要衝姫路城主は勤まらないことで、村上城に転じぜられた。(慶安(1648~1652)江戸幕府将軍は徳川家光。慶安2年2月に慶安御触書が発布されたとされるが、本文は不明とされている) 慶安3年 吉利支丹など 慶安3年9月 お山林 山野漁 町人 百姓 庄屋 庄屋 慶安3年9月
※この「第3代から第6代まで」の解説は、「山本又五郎」の解説の一部です。
「第3代から第6代まで」を含む「山本又五郎」の記事については、「山本又五郎」の概要を参照ください。
- 第3代から第6代までのページへのリンク