第三次河東一乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 06:09 UTC 版)
なお、後世に成立した北条の軍記物(『関八州古戦録』、『小田原五代記』)には「天文23年(1554年)、義元が三河国に出兵している隙を突いて氏康が再び駿河に侵攻するが、義元の盟友である晴信の援軍などもあって駿河侵攻は思うように進まなかった」といった第3次河東一乱とみられる動きが描かれているが、この動きは今川氏や武田氏・近隣国に関する同時代史料・軍記からは確認できず、遺跡・史料研究の齟齬からも、小和田哲男、有光友学、黒田基樹他、今川氏や後北条氏、武田氏の研究者による見解は否定的である。
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