笠寺高射砲陣地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 05:18 UTC 版)
上述のごとく見晴台遺跡には、昭和17年(1942年)に高射砲陣地が構築され、一個中隊が配備された。八八式七糎野戦高射砲6門が、陣地南側に25メートル間隔で弧を描くように設置された。昭和19年(1944年)には高射砲大隊本部もここに置かれた。 戦後の発掘で、兵舎・通信事務所・通信ケーブル溝などの跡が見つかっているほか、さまざまな部品・工具・日用品などに加えて、装填訓練のために使用された木製の砲弾や前述の金属塊、観測用機器の部品、土中に埋没した砲座基底部なども発見され、2基の砲座跡と砲側弾薬庫が公園内に保存されている。
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