竹井懿貞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 15:50 UTC 版)

竹井 懿貞(たけい よしさだ[1][2][3] / いてい[4]、安政元年1月11日[4]〈1854年2月8日〉 - 1903年〈明治36年〉4月25日[5])は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
上野国邑楽郡赤岩村(のち群馬県邑楽郡永楽村→千代田村、現・千代田町)の塩田家に生まれる[1][2][4]。国学、漢学を学び[1]、大学南校で教育を受け[3]、さらにアメリカに留学する[2][4][1][3]。帰国後、武蔵忍藩領大里郡熊谷町(埼玉県大里郡熊谷町を経て現熊谷市)の竹井家の養子となる[1][2][4][3]。熊谷宿戸長、埼玉県属[2]、埼玉県会議員を経て[5]、1880年(明治13年)4月27日に同2代目副議長に就任した[6]。
1885年(明治18年)大蔵省に入省し[3]、大蔵省総務局会計課長となると東京府麹町区に転居した[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では群馬県第2区から出馬し当選[5]。衆議院議員を1期務めた[5]。衆議院では大成会に所属[1][2][3]。
脚注
参考文献
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、316-317頁。doi:10.11501/12189010。(
要登録)
- 群馬県姓氏家系大辞典編纂委員会編『角川日本姓氏歴史人物大辞典10 群馬県姓氏家系大辞典』角川書店、1994年。
- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 竹井懿貞のページへのリンク