稲作の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 05:09 UTC 版)
紀元前1万年ごろ、長江中流、下流域で興った稲作は、ドンソン文化のようにマレー半島経由で伝わったのではなく、台湾、フィリピン、小スンダ列島という経路をたどった。東南アジア島嶼部に至ったのは紀元前2000年前後である。 稲作文化は東南アジアの伝統ではあるが、平原に広がる広大な田園という風景が当たり前になったのは18世紀以降である。稲作はまず陸稲という形で始まった。自然条件の節で解説したように、平地はどのようなものであっても、農業に向かない。そこで、焼き畑の一部として稲作が導入された。焼き畑の1年目に雑穀と稲を区別せずに栽培し、2年目に根菜を植え、収穫後放棄するという農法である。
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