神戸での起業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 18:06 UTC 版)
1879年(明治12年)5月退職し、故郷で家財を売り払い、6月から1880年(明治13年)6月まで神戸外国人居留地12番クニフラー商会(後にイリス商会)に務めた後、兵庫新場(後の湊町四丁目)でマッチ製造会社清燧社を興し、10月葺合加納町に東華館を新設した。 当初は日本製マッチの品質の悪さから輸出が伸びず、1884年(明治17年)には一旦途絶えたが、1885年(明治18年)上海への輸出が成功し、香港、南洋諸島へと販路を拡大した。1892年(明治25年)5月イギリスウィリアム・ダフからの原料直輸入を開始した。
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