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神崎驥一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/31 04:01 UTC 版)

神崎驥一

神崎 驥一(かんざき きいち、1884年8月10日 - 1959年4月16日)は、日本の教育者。関西学院大学商経学部教授、関西学院大学第4代学長、同学院院長(第5代、1940年1950年)などを歴任した。

略歴

1884年8月10日東京麹町に生まれる。1901年関西学院普通学部を卒業。カリフォルニア大学に留学し、同大学院に進学する。歴史学政治学を学んだ後、在米日本人会書記長に就任。吉岡美國第2代院長の娘婿となり、1921年、高等商業学部長就任のために帰国。大学開設に伴い、大学商経学部長を兼任、高等商業学部、大学の教授でもあった。ベーツ院長の離日後、1940年から1950年の10年間、第5代院長を務めた。その間、大学長、専門学校長も兼ねた。戦中、戦後の混乱期の関西学院を先導した。 1947年には、他の大学学長らとともに昭和天皇に「最近の学内事情」について奏上を行う機会があった[1]。 1950年、院長を定年退職した。同年の第2回参議院議員通常選挙全国区から無所属で立候補したが落選した[2]。退職後、帝塚山学院長に就任、大阪市教育委員長も務めた。1959年に関西学院大学から名誉博士号を受けた。

脚注

  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、353頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
  2. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』541頁。

参考文献

学職
先代
C.L.ベーツ
1920年10月15日-1940年9月11日
関西学院院長
1940年9月11日-1950年2月3日
次代
今田恵
1950年2月3日-1954年3月31日
先代
C.L.ベーツ
1934年-1940年
関西学院大学学長
1940年-1946年
次代
古武弥四郎(事務取扱)
1946年−1947年



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