社中結成の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
一茶は弟との遺産分割交渉に本腰を入れだした文化4年(1807年)7月時の帰郷以降、遺産相続問題交渉と並行して北信濃に自らの社中を作り上げるべく奔走し始めた。この時の帰郷では、旧知の毛野の滝沢可候、野尻の石田湖光をしばしば訪れ、浅野(長野市豊野地区)や六川(小布施町)の俳諧愛好者たちとの関係を作った。浅野、六川ともに後に一茶社中の拠点となっていく。 文化4年11月の第二回遺産相続交渉の帰郷時には、柏原にはわずか4日しか滞在せず、その一方で毛野の滝沢可候宅にも4泊している。このように一茶は実家に住む継母、弟とは遺産相続問題を巡って厳しい交渉を重ねつつも、一方では着々と北信濃の俳諧愛好者との関係を深め、自らの社中を結成して帰郷へ向けての足掛かりを作っていった。
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