碓井貞光説
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永延3年(989年、平安時代前期後半)、頼光四天王(らいこう してんのう。源頼光の四天王)の一人に数えられる碓井貞光(うすい の さだみつ)は、越後国(現・新潟県)から木の根峠/木根峠(きのねとうげ)/木根宿峠(きのねしゅくとうげ)を経て生国である上野国(現・群馬県)に入り、当地で夜を明かすことになった。夜もすがら、読経をしていて夢うつつになった夜半の頃、どこからともなく一人の童子が立ち現れて曰く、「汝が読経の誠心に感じて四万(よんまん)の病悩を治する霊泉を授く。我はこの山の神霊なり。」と。然して貞光が目醒めると、神託のとおり湧き出る温泉を見付けたという。係る吉事(よごと)に感じ入った貞光は、この地に一宇の堂を建立し、自らの守本尊(まもりほんぞん)の薬師如来を安置して「日向守貞光寺薬師瑠璃如来(ひゅうがのかみ さだみつじ やくしるりにょらい)」と号し、温泉は「御夢想の湯(ごむそうのゆ)」と呼び、地域は神託にちなんで「四万郷(しまのごう)」と名付けたとのことである。また、貞光が日向守であったことから、四万温泉の開湯地とその温泉名を特に「日向見(ひなたみ)」および「日向見温泉」と呼ばれるようにもなった。
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