砂田慎治
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砂田 慎治(すなだ しんじ、別表記:砂田 愼治、1946年または1947年[1] - )は、日本の地方公務員。川崎市総務局長、同市副市長、川崎フロンターレ顧問を歴任。瑞宝中綬章受章。
人物・経歴
1969年 川崎市役所に入庁し[2]、2001年 (平成13年) 秘書部長[3]、2003年4月 奥川欽一の後任として総務局長[4]、2006年1月 同職を曽禰純一郎と交代し東山芳孝の後任として前年に再選した阿部孝夫市長から助役 (後に副市長) に任命された[5]。2010年1月 副市長を再任[6]。同年4月 地方公務員共済組合連合会理事[7]、2014年1月 前年に当選した福田紀彦市長から副市長を再任 (3期目) された[8]。2016年3月 総務局長の伊藤弘を後任に副市長退任[9]。退任の議会あいさつでは「前進できたと思える仕事がある一方、力不足でできなかったこともある。ただ、どんな仕事をする時も市民にとってプラスか否かを必ず物差しにしてきたことだけは自信を持って言える」と語った[2]。
退任後、川崎信用金庫監事[10]、川崎フロンターレ顧問[11]。
栄典
2017年4月 平成29年春の叙勲で地方自治功労により瑞宝中綬章を受章[12]。
脚注
- ^ “平成29年春の叙勲勲章受章者名簿P41”. 総務省 (2017年4月29日). 2025年2月8日閲覧。
- ^ a b “「川崎はまだ発展」 砂田副市長が退任あいさつ”. 神奈川新聞 (2016年3月19日). 2025年2月8日閲覧。
- ^ “灰色→青に変わった川崎のイメージ 転機から22年、「逃げられる街」を染めたフロンターレの色”. THE ANSWER (2023年4月23日). 2025年2月8日閲覧。
- ^ 平成15年 2003年4月14日付 官報 本紙 第3585号 8頁
- ^ 平成18年 2006年1月27日付 官報 本紙 第4264号 10頁
- ^ 平成22年 2010年2月4日付 官報 本紙 第5246号 9頁
- ^ 平成22年 2010年4月23日付 官報 号外 第88号 93頁
- ^ 平成26年 2014年1月30日付 官報 本紙 第6219号 8頁
- ^ “砂田副市長退任へ、後任に伊藤総務局長”. 神奈川新聞 (2016年3月9日). 2025年2月8日閲覧。
- ^ “役員人事 川崎信金(6月22日)”. ニッキンオンライン (2022年7月8日). 2025年2月8日閲覧。
- ^ “川崎ではなく首都・東京を見据えていたヴェルディ”. THE ANSWER (2023年4月23日). 2025年2月8日閲覧。
- ^ “平成29年春の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 11 (2017年4月29日). 2022年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月28日閲覧。
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