石卒塔婆(狗留孫岩)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 04:39 UTC 版)
ここには八大龍王の中の2龍王、健磐(たていわ)と娑伽羅(しゃがら)が住んでいた。ある日のこと、健磐龍王は拘留孫仏に願って高さ十五尋(約二十二・七、または二十七・三メートル)、周囲二メートルほどある石卒塔婆を山中に建てた。大変喜んだ娑伽羅龍王は観音菩薩にお願いして、高さも周りも同じの石卒塔婆を建てた。拘留孫仏が立てた石卒塔婆には大般若経が書かれ、観音菩薩が建てた方は観音石と呼ばれて法華経が書かれていた。ところがあるとき巡礼がきて何か悪口をいったのか娑伽羅が怒り、観音石は三つに折れて飛んだ。その一つが芋場畑に落下したので、それを祝ったのが立石権現(立石神社)とされる。 拘留孫岩はずいぶん昔から有名だったとみえ、神武天皇も見物に行かれた。そのとき「暫しこそ端山繁山茂けれども 神路の奥に道あるものを」という和歌をお読みになられたという。
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