石井国次とは? わかりやすく解説

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石井国次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 14:17 UTC 版)

石井 国次(いしい くにじ、1874年明治7年)11月3日[1] - 1954年昭和29年)3月3日[2])は、日本教育者宮中顧問官

経歴

茨城県出身。1899年(明治32年)、東京高等師範学校文科を卒業し、1901年(明治34年)に同校研究科を卒業した[3]。翌年より学習院教授となり、初等科長を務めた[3]1936年(昭和11年)に退官した後は、宮中顧問官に任命された[3]

1908年(明治41年)に裕仁親王(後の昭和天皇)が学習院初等科に入学すると、卒業までの6年間主管を務めた[3]。次いで東宮御学問所が設置されると、御用掛を兼務した[3]。墓所は多磨霊園

著書

  • 『戦時教育 国民の覚悟』(冨山房、1904年)

栄典

脚注

  1. ^ 人事興信録 第5版 1918.
  2. ^ 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。
  3. ^ a b c d e 人事興信録 第11版 1937.
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。 



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