県立尼崎高校の生みの親
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 00:33 UTC 版)
任期中に、尼崎市への県立中学校(旧制)設置の要望が高まったため、1916年(大正5年)に県に陳情したが財政難を理由に拒否されたため、上村が中心となり市立で中学校を建設する市民運動を始めた。市内で運送業を営む佐古寛一(のちの日本通運取締役)らが「芝居」を興業して資金も調達、市民ら649名の寄付をもとに1923年、待望の尼崎市立尼崎中学校が創立した(現・兵庫県立尼崎高等学校)。
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