相模蘆名氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:06 UTC 版)
三浦義明の弟為清が所持している蘆名の地にちなんで蘆名姓を名乗ったことに始まる。その息子為景の子為久は相模国大住郡石田郷(現神奈川県伊勢原市石田)を領していたが、木曾義仲を討ち取り、褒章としてさらに近江国石田村を与えられ、一族は同地に移住した。その後、下毛野流石田氏と婚姻を重ねて京極氏の被官となり、戦国時代には石田三成を出した[要出典](石田三成が、名門蘆名氏の流れを自称した可能性もある[要出典])。また、鎌倉時代中期には蘆名経光が伯耆守護となっている。
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