皇帝陳友諒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 22:30 UTC 版)
紅巾軍の本体である韓林児の宋とは独立して行動し、天完国の皇帝を称していた徐寿輝は、長江中流域に勢力を拡大していった。陳友諒はその政権内部で、徐寿輝の謀殺を企てて失敗した上司の倪文俊を殺害して、麾下の部隊を指揮下に収めた。そうして天完国の実権を一手に掌握すると、天定2年(1360年)には主の徐寿輝をも殺害して、自ら帝位についた(『新元史』では1359年とする)。この際、国号を「大漢」に改め、元号を大義と定めた。
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