百済王全福とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 百済王全福の意味・解説 

百済王全福

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 05:49 UTC 版)

 
百済王全福
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下尾張守
主君 聖武天皇
氏族 百済王氏
父母 父:百済王郎虞
兄弟 孝忠全福敬福、清仁
仁貞
テンプレートを表示

百済王 全福(くだらのこにきし ぜんふく)は、奈良時代貴族摂津亮百済王郎虞の子。官位正五位下尾張守

経歴

天平12年(740年)2月に聖武天皇難波宮行幸において百済王の一族が風俗楽を演奏したことに対する功で百済王慈敬と共に叙位を受け、全福は従五位下叙爵。さらに同年11月に陪従の文武官らに対して叙位が行われた際、従五位上に昇叙されている。天平16年(744年)2月に聖武天皇が安曇江(現在の大阪市北区野崎町近辺)に行幸した際にも百済楽を奏して、再び百済王慈敬と共に叙位を受け、全福は正五位下に昇叙された。

同年9月に畿内と七道に対して巡察使が派遣された際、全福は山陰道巡察使となり、翌天平17年(745年)尾張守に任ぜられるなど、聖武朝後半は地方行政に携わっている。

官歴

続日本紀』による。

系譜

脚注

  1. ^ a b 栗原信充考訂『百済王三松氏系図』

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「百済王全福」の関連用語

百済王全福のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



百済王全福のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの百済王全福 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS