白洲と長谷川の記録の公開
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「白洲と長谷川の記録の公開」の解説
田中の反論から3年後の1976年5月1日に、白洲次郎と長谷川元吉の記録が第1回「外務省外交記録公開」により公開された。これは、2・13会談から30年ぶりの公開であった。二人の記録には、松本の言う「天皇の身体(パーソン・オブ・ゼ・エムペラー)」発言は記録されていなかった。 外交記録公開は、学界、国会からの外交記録の公開を求める声、特に戦後史や占領行政史への関心の高まりを受けて、外務省が1975年12月に決定したものであった。戦後の外交記録を欧米諸国の例にならい、いわゆる30年ルールにより公開する基本方針が決定され、白洲と長谷川の記録は、1946年からちょうど30年経っているため、第1回で公開された。第1回の公開内容は「連合軍司令部来信綴・往信綴、連合軍側と日本側との会談集、帝国憲法改正関係一件(研究資料)」である。
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