畑山博史とは? わかりやすく解説

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畑山博史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/25 00:55 UTC 版)

畑山 博史(はたやま ひろし、1950年1月23日 - )は、日本のジャーナリスト。文化人タレント。大阪市天王寺区出身。吉本興業所属[1]

来歴

1972年、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻(現在の社会学部メディア学科)を卒業し、同年に毎日新聞社に入社する。大阪本社社会部記者(1978年 - 1987年)時代には、三菱銀行人質事件グリコ・森永事件山一抗争豊田商事事件豊田商事会長刺殺事件を含む)、日本航空123便墜落事故などの取材・報道を担当した。

次いで1992年まで大阪本社運動部編集委員となり、阪神タイガース大相撲を担当した。大阪本社学芸部編集委員(1992年 - 1994年、吉本興業や映画などを担当)を経て、1994年より大阪本社夕刊編集長となる。編集長時代には阪神・淡路大震災の被災者支援紙面「希望新聞」の作成に当たった。

鳥取(1996年 - 1998年)と大津(1998 - 2000年)の支局長在職の後、2000年に50歳で選択定年退職する。同年、新日本海新聞社に入社。旧夕刊紙大阪日日新聞の買収と朝刊化で、関連の運営会社に出向し、取締役編集局長を務めた

2003年4月から2年間、日本海新聞取締役編集制作局長を務めた後、2005年4月に日本海新聞取締役兼大阪日日新聞常務取締役となる(組織改編により2008年2月からは新日本海新聞社取締役大阪本社代表)。2014年10月、同社取締役を退任し、常勤顧問を経て、大阪本社主幹となる。

この間、社外活動として、GAORAの情報番組「毎日スポーツビジョン」(1988年)のスポーツキャスター、第9回世界湖沼会議(2001年、大津市)の企画委員、滋賀県観光審議会委員、大津市および鳥取市の総合基本計画策定委員などを歴任した。

2015年、吉本興業と文化人タレント契約を結ぶ。同時に、よしもとスポーツと、ふるさとアスリート契約を結ぶ。

2023年7月 大阪日日新聞休刊により、新日本海新聞社(日本海新聞)大阪支社主幹となる。

2024年9月 一般社団法人 地方PR機構フェローに就任。

出演

  • CS・GAORA「毎日スポーツビジョン」キャスター(1994年)
  • BSフジ「ブラマヨの弾話室~日本どうかしてるぜ!」(2016年~)
  • よしもと西梅田劇場「オモ論議!」(2018~19年)
  • BSよしもと「ワシんとこポスト」(2022~23年)

脚注

  1. ^ 吉本興業タレント 畑山博史プロフィール

出典




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