町野隆風とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 町野隆風の意味・解説 

町野隆風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/23 18:29 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
 
町野隆風
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 掃部助
主君 大内義隆義長毛利元就輝元
氏族 町野氏
父母 父:町野隆治
兄弟 隆風、鶴法師
益田尹兼の娘
隆信、親利

町野 隆風(まちの たかかぜ)は、戦国時代武将大内氏毛利氏の家臣。父は町野隆治(相模守)。子は町野隆信、孫は長州藩士・町野隆俊

生涯

大内氏家臣・町野隆治の子として生まれる。

石見国鹿足郡津和野三本松城主・吉見正頼が、毛利元就と結んで陶晴賢を討たんとする姿勢を見せたため、天文22年(1553年)10月に吉見氏討伐のために隆風が出陣し、同年10月12日長門国阿武郡高佐原で下瀬頼定と戦ったが、敗れている。

弘治元年(1555年)に始まる毛利元就防長経略において、隆風は長門国阿武郡渡川で吉見正頼と対陣する大内義長に従っていたが、弘治2年(1556年)3月に弟の鶴法師を人質として吉見正頼に送り、先知行の内の一部を安堵されて毛利氏家臣となった。

しかしその後、家子の養いに難渋したため、永禄12年(1569年)に所領の内の長門国大津郡日置庄利生山の半済分1石4斗足と、同郡三隅庄清富院の半済分3石5斗足の地を烏田武通に売却し、同年8月11日付けの国司元武奉書により、隆風の所領売却と烏田武通の知行が認められた。

没年は不明。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「町野隆風」の関連用語

町野隆風のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



町野隆風のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの町野隆風 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS