町田紀彦とは? わかりやすく解説

町田紀彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 23:24 UTC 版)

町田 紀彦
出身地 日本
ジャンル J-POP
職業 音楽プロデューサー
作詞家
作曲家
活動期間 1999年 - 2013年
事務所 元、ランタイムミュージックエンタテインメント
公式サイト Blog

町田 紀彦(まちだ のりひこ、本名同じ)は、音楽プロデューサー作詞家作曲家ランタイムミュージックエンタテインメントの運営する芸能スクール「スタジオランタイム」(現、ランタイム・ミュージック・アカデミー)に所属していたときには、ZONEのプロデュースや数多くの楽曲提供をしていたため、育ての親ともいえる存在である。東北福祉大学卒業。

人物像

ランタイムミュージックエンタテインメント所属時は当時の橋下徹のような風貌で、茶髪でカラーレンズの眼鏡をかけていた。

  • ZONEのメンバーは彼の第一印象をこう語った。

来歴

キーボードは独学で、姉の自動伴奏付きのオルガンドラムまで含めて、すべての音を自分一人で演奏できるが、音楽理論についてはほとんど知らない。

20歳でランタイムミュージックエンタテインメントに入社。23歳でZONEのインディーズ曲「believe in love」を手掛けて以来、ランタイム専属コンポーザーとして活躍。

スタジオランタイムの生徒のために「secret base 〜君がくれたもの〜」を作詞・作曲する[注 1][注 2]2001年8月8日にはZONEのシングルとしてリリースされ[注 3]、後々週を重ねるごとにランクアップし、オリコンチャート最高2位を記録した[注 4]。その他、多くの楽曲をZONEへ提供およびプロデュースしていった。

28~29歳のとき、ZONEの解散とほぼ同時期の2005年頃にランタイムを退社。その後は特に目立った音楽活動は行っていないようである[注 5]。2012年に声優ユニット・スフィアのシングル「明日への帰り道」の作曲者としてクレジットされたが、これ以外には作曲活動は行われていない。

2009年度に社会人学生として大学に入学した事をブログにて発表。以降のブログは、大学生活に関する記事が主になっている。大学では福祉を専攻し、江陵高等学校福祉科にて教育実習も経験した。2013年に大学を卒業。卒業と同時にブログの更新も終了しており、以後は発信を行っていない。

制作楽曲

脚注

注釈

  1. ^ secret base 〜君がくれたもの〜」は、町田自身が少年時代に親友が転校してしまったという経験があり、それが元となっている。このことはMVの演出にも反映されている。
  2. ^ 当初はZONEのためだけに作った曲ではなく、生徒の多くが歌っていた曲のようである。
  3. ^ 自身の誕生日と同日にリリースされた。
  4. ^ 2007年の9月の時点で、彼の作品の中では最高記録。
  5. ^ 退社後は公式ブログを立ち上げ、最近の心境を随時アップしている。

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