町火消による初出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 17:56 UTC 版)
享保3年(1718年)、南町奉行の大岡忠相が主導し町人による消防組織である町火消が制度化された。享保5年(1720年)には江戸の町を20-30町ごとに分けて1組とし、隅田川から西を担当する「いろは組」47組(のちに1組増加して「いろは四十八組」となる)と、東の本所・深川を担当する16組の火消組合が設けられた。 町奉行の支配下におかれ町人地の消防を担当するために設けられた町火消であったがその能力が認められるに従って活動範囲を拡大し、武家地をはじめ米蔵・橋梁などの重要地の消防が命じられ江戸城の火事にも出動するようになった。武士による火消に遅れて誕生した町火消にも新年に定火消が行っていた出初の風習が伝わり、これに倣って仕事始めの儀式が行われた。武家火消の出初に対し、町火消の行った仕事始めの行事は区別のために文字を引っ繰り返して初出と称している。 町火消は毎年1月4日にそれぞれの組を象徴する纏(まとい)を掲げて組内の町を練り歩き、梯子乗りや木遣り歌を披露した。
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