由利郡諸藩
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元和8年(1622年)、山形藩主最上氏が改易され、旧最上領は幕府領と中小の大名領に分割された。このうち由利郡には、関ヶ原の戦い後に転封ないし改易されていた六郷政乗(2万石)、岩城吉隆(2万石)、仁賀保挙誠(1万石)、打越光久(3,000石)などが入部し、それぞれ本荘藩、亀田藩、仁賀保藩、旗本になった。後に仁賀保氏と打越氏は改易され(仁賀保氏は分家2家が旗本として存続)、代わって讃岐国高松藩主だったがお家騒動で改易された生駒高俊(1万石)が転封され、矢島藩となっている。 本荘藩領にあった象潟は全国的に著名な景勝地であったため、松尾芭蕉・雷電爲右エ門らがこの地を訪れている。文化元年(1804年)の象潟地震で隆起し、潟湖から陸地へ、そして農地へと変わったが、蚶満寺住職の覚林による自然保護運動により、かつての小島であり景観の基である丘が残された。
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