田部長右衛門 (21代)とは? わかりやすく解説

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田部長右衛門 (21代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 14:32 UTC 版)

田部長右衛門
たなべ ちょうえもん
生年月日 1850年10月16日
出生地 日本 出雲国能義郡
(現・島根県安来市
没年月日 (1942-02-14) 1942年2月14日(91歳没)
子女 養子・22代田部長右衛門
親族 孫・23代田部長右衛門(衆議院議員)

在任期間 1889年9月29日 - 1897年9月28日

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21代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1850年10月16日嘉永3年9月11日[1] - 1942年昭和17年)2月14日[2])は明治から大正期の政治家実業家林業家。貴族院多額納税者議員。名は長秋[3]

経歴

出雲国能義郡、後の母里村[4](伯太村、伯太町を経て現安来市)で宇山清左衛門の弟として生まれ[1]1874年(明治7年)1月、飯石郡吉田村(現雲南市)の鈩製造業[4]・先代周重の養子となり、1885年(明治18年)4月に家督を相続し[1]、21代長右衛門を襲名した[4]

1884年(明治17年)島根県会議員に選出され[4]、1889年(明治22年)吉田村名誉村長に就任[5]。1890年(明治23年)島根県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[2]

1879年(明治12年)出雲国鉄師頭取に就任したが、1923年(大正12年)和鉄の衰退を受けて製鉄業を廃業し、山林業の進展を図り、地域の産業振興に尽力した[4]1926年(大正15年)退隠し、前名長右衛門を改め、長秋を名乗る[3]

親族

脚注

  1. ^ a b c 人事興信所 1915, た2頁.
  2. ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 199頁.
  3. ^ a b 人事興信所 1928, タ58頁.
  4. ^ a b c d e 『島根県歴史人物事典』359頁。
  5. ^ 『島根県歴史人物事典』711頁。
  6. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。

参考文献




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