田中 一馬とは? わかりやすく解説

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田中一馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 13:15 UTC 版)

田中 一馬(たなか かずま[1] / はじめ[2]1877年明治10年)1月1日[3] - 1957年昭和32年)4月1日[2])は、明治から昭和期の実業家政治家貴族院多額納税者議員

経歴

京都府南桑田郡亀岡町(現・亀岡市)で実業家・田中源太郎の長男として生まれる[4][5][3]東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し[1][2][4]、さらに同専攻部を卒業[6][5][注釈 1]

1907年(明治40年)以降、京都工商社長、同会長、亀岡銀行頭取、伏見銀行取締役、京都織物社長、同会長、京都電燈社長、京都商工会議所議員、京都取引所理事などを務めた[1][2][6][4][5]

1925年(大正14年)京都府多額納税者として貴族院議員に互選され[7]、同年9月29日に就任し[8]公正会に所属して1932年(昭和7年)9月28日まで1期在任した[2]

家族

脚注

注釈

  1. ^ 卒業年は『大衆人事録 近畿篇』京都53頁と『人事興信録 第15版 下』タ7頁では明治34年、『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』206頁では明治36年。

出典

  1. ^ a b c 『京都市姓氏歴史人物大辞典』434頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』206頁。
  3. ^ a b 『大衆人事録 第16版 全国篇』帝国秘密探偵社、1953年、p.598。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第15版 下』タ7頁。
  5. ^ a b c d 『大衆人事録 近畿篇』京都53頁。
  6. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和6年12月増訂、668頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、35頁。
  8. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。

参考文献

  • 貴族院事務局編『貴族院要覧(乙)』昭和6年12月増訂、貴族院事務局、1931年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 近畿篇』帝国秘密探偵社ほか、1940年。
  • 貴族院事務局編『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 京都市姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編著『京都市姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典26、角川書店、1997年。



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