田上起一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 20:54 UTC 版)
田上 起一郎(たがみ きいちろう、1940年4月12日[1] - 2020年ころ?[2])日本の芸能マネージャー、田上事務所代表[1]。劇団「雲」の裏方を長く務めた後、芸能事務所である田上事務所を設立して独立し、名古屋章ら「雲」に関係のあった俳優たちを中心に、マネジメントを担った[1]。
経歴
東京府東京市大森区(後の東京都大田区大森)に生まれる[3]。
同志社大学在学中に小劇団に加わり[1]、卒業後は普通の就職活動はせず[2]、親の反対を押し切って上京し、福田恆存が主宰していた劇団「雲」に就職して、舞台の裏方の様々な仕事を経験した[1][2]。
「35歳で独立」して田上事務所を立ち上げたが[1]、これは劇団「雲」の解散に至る、混乱期のさなかのことであった。田上事務所は、ベテラン俳優を中心にマネジメントをしていたが、「歌の世界と関係のある芸能界の人はお断り」という方針で、「いわゆる芸能界」とは距離を置いていたという[2]。
1994年には、事務所に所属していた中条静夫が死去して、収入が大きく減るという事態もあったという[1]。
田上は歌人としての一面を持ち、2006年に短歌人会に入会し、2016年には『歌集 九年坂』を発表した[3]
コロナ禍の時期に、新型コロナとは関係のない持病のために死去したとされる[2]。
著書
- 歌集 九年坂、六花書林、2016年
脚注
- ^ a b c d e f g h 脇坂直子「マネージャーが行く No.6 喜怒哀楽 田上起一郎さん」『日本芸能マネージメント協会会報 マネ協』(PDF)、第6号、日本芸能マネージメント協会、2000年2月15日、4面。2025年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e 柴山哲也「第1章 ジャニーズ性加害問題と「メディアの沈黙」- 友人の言い残した言葉」『なぜ日本のメディアはジャニーズ問題を報じられなかったのか』、18-19頁。ISBN 978-4-582-86080-1。
- ^ a b 「歌集 九年坂」『HMV & BOOKS -online-』ローソンエンタテインメント。2025年5月26日閲覧。
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