生存者の1925年の報告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 16:13 UTC 版)
「宮古島島民遭難事件」の記事における「生存者の1925年の報告」の解説
政府関係者が聞きとったとは別の情報もある。照屋宏は老齢になった生存者、島袋亀から1925年12月、那覇で直接話を聞いた。殺害の直前、蕃産物交換業者の凌老生宅に逃れてきた遭難者たちがいた。集落から追ってきた蕃人たちは酒2樽を要求したが、凌老生宅にはたまたま酒樽がなかった。亀とその親は、凌老生が意味ありげに目配したのに気付き、床下に隠れた。知らない間に何人かがすでに門外に連れ出されていた。掴まれた細帯を振り切って逃げた幸運なものもいたが、頭髪を掴まれ引きづられて殺害されたものもいた。一行のうち、捉えられた浦崎金は牛と交換され、同じく平良は反物5反と交換され難を逃れた。現場は双渓口の原っぱで、犯行は大勢の蕃社の人により行われた。
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