玉塚栄次郎 (初代)
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初代玉塚 栄次郎(たまつか えいじろう、1860年12月14日〈万延元年11月3日〉 - 1920年〈大正9年〉12月20日)は、明治から大正にかけての日本の実業家[1][2]。旧姓は小島[1]。のちに新日本証券となった玉塚商店を創業した[1][2][注釈 1]。
来歴
江戸・日本橋(現・東京都中央区)に生まれる[1]。玉塚栄蔵の養子となる[1]。
1873年(明治6年)より、日本橋の砂糖問屋で丁稚として働く[1]。1881年(明治14年)に、日本橋にあった株仲買業者の山県保兵衛商店に入った[1][2]。10年後の1891年に独立して玉塚商店を開いた[1][2]。
晩年には、貯蓄を奨励する「天保銭主義」を唱え、そのための団体「天保銭会」を設立して雑誌『天保銭主義』も発行した[1][2]。
脚注
注釈
出典
参考文献
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