玉塚栄次郎 (初代)とは? わかりやすく解説

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玉塚栄次郎 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 09:57 UTC 版)

初代玉塚 栄次郎(たまつか えいじろう、1860年12月14日万延元年11月3日〉 - 1920年大正9年〉12月20日)は、明治から大正にかけての日本実業家[1][2]旧姓は小島[1]。のちに新日本証券となった玉塚商店を創業した[1][2][注釈 1]

養子に二代目玉塚栄次郎がいる[1][2]

来歴

江戸日本橋(現・東京都中央区)に生まれる[1]。玉塚栄蔵の養子となる[1]

1873年(明治6年)より、日本橋の砂糖問屋で丁稚として働く[1]1881年(明治14年)に、日本橋にあった株仲買業者の山県保兵衛商店に入った[1][2]。10年後の1891年に独立して玉塚商店を開いた[1][2]

晩年には、貯蓄を奨励する「天保銭主義」を唱え、そのための団体「天保銭会」を設立して雑誌『天保銭主義』も発行した[1][2]

脚注

注釈

  1. ^ 新日本証券は合併で新光証券になったのち、みずほ証券となった。

出典

参考文献




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