牧之島城概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 05:19 UTC 版)
牧之島城は、永禄9年(1566年)もしくは永禄4年(1561年)武田信玄が牧城の一部に、牧之島城を馬場信春に築かせ城代とした。天正3年(1575年)5月21日に信春が長篠の戦いで戦死した後は、信春の子の馬場昌房(民部少輔)が城代を引き継ぎ、上尾城主平林正恒も武田勝頼の命で在城した。 天正10年(1582年)2月の織田氏の信濃侵攻では昌房は深志城(長野県松本市)において織田長益に城を明け渡しており、後に織田氏により処刑されたとも、戦死したとも伝えられる。武田氏が滅亡し同年6月の本能寺の変後に発生した天正壬午の乱では越後国の上杉景勝支配下の属城になり、深志城の小笠原貞慶に対抗するため7月26日に芋川親正が城主となった。そして、慶長3年(1598年)景勝の会津移封後は、海津城主田丸直昌・森忠政、松平忠輝らの属城となった。 元和2年(1616年)、忠輝が改易されると共に牧之島城も廃城になった。
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