片桐貞照
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片桐 貞照(かたぎり さだてる、天保10年5月9日(1839年6月19日) - 文久2年5月24日(1862年6月21日))は、大和国小泉藩の第10代藩主。
第8代藩主・片桐貞信の四男。正室は内藤正義の娘。通称は助作。官位は従五位下、石見守。
天保14年(1843年)閏9月13日、先代藩主で兄の貞中が早世したため、その跡を継いだ。安政2年(1855年)8月15日、将軍徳川家定に御目見する。安政3年12月26日(1857年)、従五位下・石見守に叙任する。万延元年(1860年)3月11日、桜田門外の変の発生より、日比谷門番を解任、差控を命じられる。文久元年(1861年)10月7日、桜田門外の変に際し日比谷門の警備にあたっていた藩士、足軽を処分する。嗣子がなく、死に臨んで貞利を末期養子として跡を継がせ、文久2年(1862年)5月24日に24歳で死去した。
系譜
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