燧洋荒五郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 燧洋荒五郎の意味・解説 

白真弓肥太右エ門

(燧洋荒五郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 14:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
白真弓肥太右エ門
ヒト
性別 男性 
国籍 日本 
生年月日 1829 
死亡年月日 22 12 1868 
職業 力士 
読み仮名 しらまゆみ ひだえもん 
スポーツ 相撲 

白真弓 肥太右エ門(しらまゆみ ひだえもん、文政12年(1829年) - 明治元年11月9日1868年12月22日))は、飛騨国大野郡(現在の岐阜県大野郡白川村)出身の浦風部屋所属の元大相撲力士。最高位は西前頭筆頭。本名は東屋勇吉(後に奥右衛門)。体格は208cm、150kg。

略歴

嘉永5年(1852年)25歳の時に高山陣屋地役人指田孝勝の勧めで江戸へ出て浦風部屋に入門する。 嘉永6年(1853年)11月場所に初土俵(東張出前頭)を踏む。慶応2年(1866年)に年寄浦風を襲名し、11月場所からは浦風 林右エ門の名で現役を続ける。

現役当時、相撲の実力とは別に、恵まれた体格が売り物となって大衆に注目されたという[1]

明治元年(1868年)11月9日、現役中に死去。 [2]

その他

嘉永7年(1854年)、ペリー来航時に黒船に親善で訪問。この時、五斗俵を一度に12俵担ぎ上げ、日米両方から賛辞を受ける。後年残った絵画には背中に7俵、首に1俵、両腕に各2俵括り付けている様子が描かれている[3]

直接は関係ないが、岐阜県飛騨市古川町の酒造会社が、白真弓肥太右エ門にちなんだ清酒を販売している。

主な成績

  • 幕内成績:58勝123敗17分71休5預
  • 幕内在位:30場所

四股名変遷

  • 白真弓 肥太右エ門(しらまゆみ ひだえもん)1853年11月場所 - 1858年正月場所
  • 燧洋 荒五郎(ひうちなだ あらごろう)1858年11月場所 - 1861年2月場所
  • 駒ヶ嶽 峰五郎(こまがたけ みねごろう)1861年10月場所 - 1862年3月場所初日
  • 白真弓 峰五郎(しらまゆみ -)1862年3月場所2日目 - 千秋楽
  • 白真弓 肥太右エ門(- ひだえもん)1862年11月場所 - 1866年3月場所
  • 浦風 林右エ門(うらかぜ りんえもん)1866年11月場所 - 1868年11月場所

関連項目

 出典

  1. ^ アプリスタイル『スポーツ報知 大相撲ジャーナル』2021年1月号 21頁
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
  3. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.106-107



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「燧洋荒五郎」の関連用語

燧洋荒五郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



燧洋荒五郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの白真弓肥太右エ門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS