燕の宰相として派遣されそうになる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:49 UTC 版)
「張唐」の記事における「燕の宰相として派遣されそうになる」の解説
秦は剛成君蔡沢を燕に対する使者とし燕との同盟を画策する。3年後、燕は太子丹を人質として派遣した。 秦は張唐を燕の宰相として派遣しようとしたが、張唐は文信侯呂不韋の説得を拒絶し燕に行こうとしなかった。 しかし、呂不韋に使えていた甘羅(甘茂の孫)の説得により意を翻し、燕に行く準備をした。 だが、こののち甘羅が趙におもむいて秦趙間の同盟を取り計らい、趙と燕と戦わせる工作を行ったため趙は秦に5城を割譲し、秦は燕に太子を帰した。 (『史記』樗里子甘茂列伝)
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