熱狂的巨人ファンVS阪神ファン <1999年>
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 14:01 UTC 版)
「雷波少年系熱狂的巨人ファンシリーズ」の記事における「熱狂的巨人ファンVS阪神ファン <1999年>」の解説
これまでの巨人ファンに加え、阪神ファンとともに都内の某所(日本テレビタワー建設予定地)にてそれぞれの応援用テントを張り、応援合戦を繰り広げるものだった。しかし前半戦の途中で巨人ファンがドクターストップし復帰後も度重なる敗戦により巨人を信じられなくなりリタイアしてしまったため(以降はどんなに連敗状況であっても、スポーツドリンクは無条件で支給された)、以降は新たな巨人ファンを迎えるとともに新巨人ファンとタイトルを変えて続行した。後半戦の終盤では阪神ファンがドクターストップとなったが、このときは阪神ファンの恋人である摂子がピンチヒッターとして一時的に参戦し、「新巨人ファンVS摂子」として放送された。阪神ファンはその後復帰するが、摂子に会いたいという気持ちが抑えられなくなり置手紙を残してひそかにテントを去り(去り際に備品のラジオをパクって)終了となった。 尚、最初の巨人ファンは東京NSC出身で、ロンドンブーツ1号2号や品川庄司らと同様に期待されていた若手お笑いコンビ・トランジスタタイムの河原純二であった。相方は現在いしいそうたろうとして活動している。新巨人ファンは当時大川興業所属だった芸人・プチ鹿島で、阪神ファンも大川興業の芸人であったことが後に判明した。 新巨人ファンは当企画終了後にBluem of Youthのライブに大川総裁とともに参加。その際に関係者が紹介され、総裁は本名において顔出しされたが、巨人ファンは巨人のマスコットである「ジャビット君」のお面をつけてステージに立った。この時には企画の際に総裁からプレゼントされたウサギも同伴していた。
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