熊野神社 (三島村)とは? わかりやすく解説

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熊野神社 (三島村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 05:01 UTC 版)

熊野神社
所在地 鹿児島県鹿児島郡三島村大字硫黄島87
位置 北緯30度46分55.4秒 東経130度16分45.7秒 / 北緯30.782056度 東経130.279361度 / 30.782056; 130.279361 (熊野神社 (三島村))座標: 北緯30度46分55.4秒 東経130度16分45.7秒 / 北緯30.782056度 東経130.279361度 / 30.782056; 130.279361 (熊野神社 (三島村))
主祭神
社格 村社
別名 硫黄大権現宮
例祭 旧5月5日、旧9月9日
主な神事 八朔太鼓踊り(旧8月1日・2日)笠踊り(旧9月10日・11日)
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熊野神社(くまのじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島に所在する神社硫黄大権現宮とも呼ばれ、安徳天皇晩年の皇居跡とも伝えられている。

概要

鹿ケ谷の陰謀平清盛の怒りを買った藤原成経平康頼俊寛は、1177年に硫黄島に流されたが、帰洛のことを祈るのに一心であった。成経・康頼は早く許されて都に帰れるようにと、紀州熊野三所権現を勧請してここに祭った。

元暦2年(1185年)に安徳天皇が居住してから来眞三種権現と改められ、三種の神器と内陣に祭られた桂庵玄樹書の棟札によれば、明応8年(1499年)に島津忠昌により社殿を修復したとある。さらに慶長3年(1598年)の朝鮮の役の折、安徳天皇の末裔である長濵権之丞吉延が島津義弘の危機を救った礼として、島津氏の崇敬を受け奉納品も多かった。以後修理費用を島津家から出され、文政10年(1839年)まで5回の修復がなされている。

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