熊本の事件に由来するとする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/06 03:50 UTC 版)
「東雲節」の記事における「熊本の事件に由来するとする説」の解説
1900年、全国的な廃娼運動は九州にも及び、熊本でも自由廃業を行うものが出てきたとき、熊本一と言われた二本木遊郭の妓楼「日本亭」(その直後に「東雲楼」と改称)の経営者であった中島茂七は、それに対処する上で中心的な役割を担った。その状況を受けて、「東雲」、「中島茂七」、(番頭だったとされる人物の名である)「斎藤」などを歌い込んだ風刺的な歌詞が成立したという。また別の説では、借金減額を求める娼妓たちの動きが東雲楼にあったともいう。
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