無量山千田寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 17:52 UTC 版)
行基の開基とされる古刹であったが、1878年(明治11年)に焼失、廃寺となった。境内には倭姫命が引水したとされる千田の池が、付近には持統天皇の行幸時に建立された勅旨門があった。聖徳太子の自刻7歳の像を安置し、大伽藍を構え、国分尼寺であったという説があるが、真相は不明である。 戦国時代に兵火に遭い衰微し、後に曹洞宗に改宗、常安寺の末寺となる。
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